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東京高等裁判所 昭和53年(う)976号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人山田弘之助、同草鹿浅之介、同三上雅通連名提出の控訴趣意書、同補充書に記載のとおりであるからここにこれを引用し、記録並びに当審及び原審取調べの各証拠により以下のとおり判断を示す。

一所論は、昭和四二年法律第一二七号船舶の油による海水の汚濁の防止に関する法律(以下単に旧法という)五条一項一号にいう「排出」には過失によるそれを含まず、かつ、旧法三六条も過失犯の処罰を定める特別の規定ではないとし、これに基づき原判決が憲法三一条に反する旨主張するものである。

1  ところで、旧法五条一項は、「船舶……は、次の海域において油を排出してはならない」と規定して油の排出を一律に禁止する一方、同法七条一項二号においては、右五条一項を適用しない場合として、「船舶の損傷その他やむを得ない原因による油の排出。ただし、当該油の排出を防止し、又は減少させるための措置をとつた場合に限る」と定められているものである。これによれば、右五条一項は、いわば不可抗力的事由を原因とする場合を除くものの、およそ油が船体から離れ海上海中に滞留するという物理的状態の発生することを結果自体として一切禁止するものであつて、その原因の如何を問わない法意であることが明らかであり、ひつきよう「排出」とは、原因の如何を問わずかかる結果を生ずることそれ自体を指す概念であると解される。ところで故意・過失は、たしかに責任論の見地からは責任条件の態様であるが、それとともに因果関係の見地からは原因事実の具体的態様に外ならず、それゆえ、右に原因の如何を問わないということは、「排出」の原因が人の行為にある場合に、その故意・過失の如何を問わないことをも含むものであり、右五条一項にいう「排出」にことさら人の過失に基づくものが含まれないと解すべきいわれはない。

2  次に、旧法三六条に「第五条第一項……の規定の違反となるような行為をした者」とある規定が、故意にかかる行為をした者の外、過失によつてかかる行為をした者をも処罰対象として含む趣意であるかどうかにつき1に述べた点に加えて種々の観点から検討してみる。

(イ)  まず、旧法五条の法意が前記のごときものであることにかんがみれば、これと相まつて一個の刑罰規定を構成する旧法三六条は、その文理上、故意による油の排出に限らず、過失による油の排出をも処罰対象として含むものと解する余地がある。かような文理上の可能性があるときは、過失犯の処罰をも明記する文言が条文中に用いられていない場合であつても、当該法令全体の立法の趣旨目的及び関連法条との関連から特定の罰則規定が明らかに過失犯をも処罰する趣旨であると解されるかぎり、これをもつて刑法三八条一項にいう「特別の規定」にあたるものとして差支えなく、右のような明記文言の欠如の故に直ちに、故意犯のみを処罰する規定であると解さなければならないものではない。

(ロ)  すすんで旧法の立法の経緯についてみると、船舶の油による海水の汚濁を防止することは、「一九五四年の油による海水の汚濁の防止のための国際条約」がわが国についても発効することに備え、これを誠実に遵守する義務の履行として立法化されたものであるところ、前記条約は、その文言自体から、油の排出についてはその原因の如何を問わずおよそ排出という物理的事実そのものを禁ずる趣旨であると解されるから、かかる趣旨の実現を国内法において刑罰をもつて強制しようとするものである旧法三六条が、故意の投棄のみを処罰対象とするものであるにおいては、国の憲法上の義務として前記条約を誠実に遵守するうえで、必ずしも十分でないものがあると認められる。

(ハ)  次に立法府における旧法の審議、制定の過程についてみると、法案の委員会審議において、旧法案は過失による油の排出をも処罰対象とするものであつて、かつ、右の趣旨が、主としては前記「排出」の概念を介し、また前記条約の趣旨を体して行うものであるところの規制の本旨を通じて、旧法の関連規定上明らかにされており、ことさら明文の規定をおくまでもないとする立案主務官庁の見解が明示されているのであり、各関連法条がなんらの修正もなく関係委員会の議決を経、本会議においても可決された以上は、過失による油の排出をも処罰することがまさしく立法府の意図するところであつたものと解するに足りる。

(ニ)  およそ行政取締法規は、行政目的の実現に資するという性格上、行政違反の客観的状態を事実そのものとして予防禁圧しようとし、それゆえ行政義務の履行を強制する手段としての行政罰則も多くは過失犯をも処罰対象とすることになるが、とくに問題の行政違反状態が通常は故意によつてではなく、むしろ過失によつて生ずることが多いような類のものである場合においてはなおさらのことであり、行政罰則の解釈においては、右の事理を考慮の外におくことはできない。ちなみに当審における事実調の結果によれば、海上保安庁において昭和四一年から同五一年にかけて探知しえた船舶を流出源とする油の海上流出についてみると、故意になされたもの若しくはその疑いのあるもの合計二、五〇九件に対し、過失によると認められるもの合計三、〇一七件を数えるのであつて、これによつてみても、旧法が意図する立法目的を実現するうえには、故意の投棄の禁止のみを刑罰によつて履行強制するにおいては、半ば実効を期しがたいものがあると認められる。

(ホ)  昭和四五年法律第一三六号海洋汚染防止法(以下単に新法という)において設けられた過失による船舶の油流出を処罰する旨の明文規定は、新法において新たに規制対象に組み込まれることとなつたが一九六九年改正条約の規制外である船舶の廃棄物並びに海洋施設の油又は廃棄物の各排出等についてその過失犯を処罰しないこととの対比上、とくに確認的意味合いで設けられたものと解せられ、これを船舶からの油の排出の過失犯を創設した規定であるとは解しがたく、また、所論指摘の新法における施行期日の点も前記の新規規制対象の取扱上、政策的に定められたものと考えられるから、以上いずれの点も、旧法において過失による油流出を処罰する趣旨の規定が欠如していたと解することの証左とするには足りないものである。

3  以上指摘した1、2の諸点を総合していえば、旧法五条一項、三六条により一体として構成される刑罰規定は、その内容自体において過失犯をも処罰する法意であることが同法の関連規定上明らかであり、かつ、こう解釈することが立法目的の実現にも資するものと解せられる。従つて、これと同一の見解をとる原判決の法律判断は所論にも拘らず、結局正当であり、憲法三一条違反をいう論旨はその前提を欠くものであり、この点の論旨は理由がない。〈以下、省略〉

(時国康夫 栗原平八郎 柴田孝夫)

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